コラム

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身体的行法のはやらなくてもいい?

世界には無数の霊的訓練のメソッドがありますが、 その中には身体行法、 体操といってもいいのかな、 これがあるものもあればないものもあります ないもの、あるいはなくても十分に発達を遂げることができるとうたうものについて、 […]

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イエス・キリスト
愛を込めて

「愛を込めて」なんて、簡単に言えないよね よくあるその包み紙の中身は、 「私はその対象を気に入っている」という利己的な愛着 そういう「愛」が好きな人もいる 愛着されたいと望む人は多い けれど真実の愛を求める人は、 そうい […]

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霊的探究と孤独について

探究の道において、 孤独は歓迎すべき状況です たとえパーソナリティがそれによって動揺したとしても、 それは私たちの魂の導きであり、 生まれてくる前からそういう状況をあえて設定しています ですから世間からの分離に対して抵抗 […]

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何も心配しないで

何が起ころうと大丈夫 あなたは決して死ぬこともなければ 傷ついたり、損なわれてしまうことはないから あなたがどんな状況に置かれているように見えようとも それはマーヤー それは幻 それはあなたの真の偉大さが発揮されるための […]

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この世は巨大な水風船のよう ー天王洲 WHAT MUSEUMー

先日家族で品川のWHAT MUSEUMを訪れました その展示会の目玉がこちら 奥中章人「Synesthesia ーアートで交わる五感ー」展 リンクに詳細がありますが、 このように中に入ると不思議な空間が広がっています 床 […]

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神の意志を行うことの意味

「自分には一切の喜びや満足を与えない」 これくらいの気持ちがなければ、 神の意志を行うスタートラインにも立てない 私は最近、特にこう思うようになりました 現代は自己犠牲とか無私の態度を嫌う傾向にありますが、 本当の聖なる […]

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菩薩になる

苦しみから脱する方法は非常にシンプルです 「神と隣人を愛し、対して個我への愛着を捨てよ」ということです 個我、つまり自分というものへの愛着が苦しみを作り出し、 神、至高者や他者への愛が喜びと満足のもととなる つまり「こう […]

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カルマの法則
起こるがままに任せる

なんていうのかな 自分の身に起こってほしいことと、 反対に起こってほしくないことを、 あまりにも強く規定しすぎている気がする 自分にとっての理想のイメージがぼんやりとあって、 それを「常識」とか「普通」とか言ってる場合も […]

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空っぽな「わたし」

「私って空っぽなんだ」 あらためてそう気づいた 人から「あなたは空っぽな人間ですね」なんて言われたら、 普通いい気分にならないと思う だけど今なら、心からニコニコして「あはは」って答えると思う 「私なんて空っぽですよ」と […]

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至高の心「菩提心」

世の人々の苦しみを憐んで受け取り、 これを悟りの糧としてしまう至高の心 これを「菩提心」といい、 これを行う人を「菩薩」と呼ぶ 自分の満足、 自分の安全、 自分の達成、 そして自分に苦痛がないこと、 俗人はこれらを動機と […]

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