福音書から学ぶ

何が最も大切なことかと聞かれたイエス・キリストは、次のように語りました

 律法学者がひとり来て、その講義を聞いていたが、イエスがみごとに答えられていたのを知って、イエスに尋ねた。「すべての命令の中で、どれが一番大切ですか。」
 イエスは答えられた。「一番大切なのはこれです。『イスラエルよ。聞け。我らの神である主は、唯一の主である。
 心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、他にありません。」

マルコの福音書12章28〜31節

キリストの言葉には人によってあらゆる解釈がありますが、

この二つの”至上命令”はこのように捉えると間違いがなく、

なおかつ実践に活かせます

1 あなたのあらゆる注意や関心の対象は神だけに向けなさい

2 あなたの隣人をあなた”以上”に愛しなさい

ブログ上ですので、少しだけ説明します

まずどんな間違いが起こるのかというと、

私たちは非常にエゴが強いため、

ついエゴイスティックな捉え方をしてしまうのですね

言い方を変えると、

非真理の中に真理を混ぜ込んで考えてしまうのです

なのでそれを防ぐため、

ちょっと表現に偏りを出しています

では最初のセンテンスです

「あなたのあらゆる注意や関心の対象は神だけに向けなさい」

という一文

私たちはいつもいろんな物事に関心を奪われています

朝起きたらまずスマホ、

何を着ようか、何を食べようか、仕事、学校

将来のこと、過去のこと、

お金、趣味、気になっている番組や商品のことなど

特に現代はそういう気を散らすものがすごく増えました

これらは集中力の分散です

イエスはこの集中力の全てを神に向けなさいと言っていると思います

原文のままの

「汝力を尽くし…主なる神を愛せ」

でも十分に伝わるものがあるので、

実際私はその表現が好きですが、

いつもエゴに傾こうとする私たちの心を戒めるには、

日常的な「注意・関心」という言葉を使った方が腹落ちしやすいと考えました

このアイディア実は、

非常に優れたお手本がいます

アイドルに狂ったオタクたちです(笑)

連中は24時間推しのことを考えています

仕事をするのも貢ぐため

日常で見る色々なものから、推しに関連したものを連想します

もはや使命感を帯びる勢いで、推しのために一喜一憂します

彼らはアイドルに熱烈に集中しますが、

言わんや我々は神に熱烈に集中します

我々のポテンシャルは、

最高の対象にのみ注がれるべきです

次いきます

「あなたの隣人をあなた”以上”に愛しなさい」

原文は「あなた自身のように」とありますが、

エゴが強い私たちにとってこれだと弱いんです

本質はもちろん、自他は平等なんですよ

でもそれではエゴは落ちない

「私」という非自己の感覚を守ったままでは、

真の平等性を覚ることはほぼ無理だと経験から思います

そもそも「私」という感覚と真の平等性は同時に存在できません

個人的感覚と平等性は同居できない反対物なのです

ですからこれは本当は、

「私のことなんてどうでもいいから、あなたに幸せになってほしい」

というくらいの気持ちがあって初めて実現するものです

ここで個人的に気掛かりな話をしますが、

現代スピリチュアルではこの「私」というものをかなり大事にします

私の肉体
私の人生
私の欲求
私の感情
私の財産や所有物

これらはキリストの最も重要視した命令とは正反対ですね

キリストが間違っているのか

それとも現代スピの傾向が間違っているのか

あるいは両方正しいのか、

もしくは両方間違っているのか

おそらく確かなことは、

私たちはキリストの命令を守る事に関しては、

ほとんど巧みに意識してこなかったということです

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