神からの恩寵を受け取る方法

「恩寵」

考えるだけで、なんだか幸せになってきます

私たちはいつも恩寵の中で生きています

肉体も地球も宇宙も、

全てが今の今、神の愛によって維持されている

これを書いている今も、

これを見ている今も、

偉大な至高者の生命の煌めきがあります

呼吸はどうして行われるのか

瞳はどうして景色を写すのか

心はどうして天を仰ぐのか

この例えようのない奇跡への感嘆が止みません

神からの恩寵を受け取るには、

一にも二にも心を開くことです

言うのはシンプルですが実践は簡単ではありません

謙虚になること

エゴの緊張に巻き込まれないこと

コツはいくつかありますが、

この心構えは練習によって徐々に鍛えていく必要があります

これを前提とした上で話を進めますが、

「神のお喜びになることをする」と、

そのお返しは必ず帰ってきます

私たち人間の親でさえも、

子供から親愛の気持ちを込めて名前を呼ばれるだけでとても嬉しくなります

ましてや自分のことを一生懸命考えて行動を起こしてくれたり、

他人に親切にしたり、

兄弟で仲良くしてくれているのを見るだけで、

とても可愛らしく見え、

「今日はこの子の好きなものを食べさせたい」

などの気持ちになりますよね

でしたら、神の大愛はどれほどのものか…

お返しのパターンはざっくりと3種類です

1 個人的な安楽に関すること(お金、状況、救い)
2 個人的に全く関係ない場所での良い出来事
3 霊的成長を促すための出来事(多くは苦難として)

「1 個人的な安楽に関すること」

これはいわゆる現世的幸福と、

個人の霊的気づきに関する恩寵です

「2 個人的に全く関係ない場所での良い出来事」

これはいまいちピンとこないかもしれませんが、

実際私たち人間は共同体であり、

一人の生命は多数の他の生命によって成り立っています

よってそ一人の善は、人類の善なのです

例えばあなたのなした良い行いが、

まだ見知らぬ人にとっての幸福や覚醒につながる出来事として現れるといった感じです

「3 霊的成長を促すための出来事」

親は子を愛するからこそ、

厳しいことを言ったり、

困難な経験をさせて成長させようとする一面があります

実際はこれが親の最大の愛かもしれません

1のように物質や状況的に恩寵を与えるのは、

例えばお小遣いをあげる感覚に近く、簡単です

しかしこの場合、神の愛と知恵が働いています

人間の子供の教育に置き換えるとわかりますが、

これが最も親にとって労力を使うことです

よくスピリチュアルでいうところの、

「これをしたら人生好転」などの文句がありますが、

当てはまるとしたら1です

全部ではないにしても、

霊的向上の観点からこれはあまり良くありません

というのも、その人の徳が現世的喜びと交換されてしまっているからです

これは親からもらった学校の授業料を、

お菓子やゲームで散財してしまうのと似ています

反対に例えば

「神の探究を始めたら、なんだか人生が大変になってきた…!」

という場合は、3の最も恵み深い恩寵が働いていると考えて良いでしょう

言わずもがな、それこそが神に最も近づく道だからです

私たちは魂への道を上昇する過程で、

色々な浄化の経験をします

これは全ての誠実な求道者、神秘家、オカルティストが経験することです

これはエゴからしたら好ましくないことですが、

怖がらないでください

エゴは最初から私たちではないのです

それはいずれ、歓喜を伴ってわかります

2も同様に素晴らしいことです

「分かち合うことで苦しみは半分に、喜びは二倍に」

という法則の成就だからです

これは意外にも、世の中で多く起こっています

人類には悪も多いが、

同等に善もあるからこそ、

今日の世界があると私は思います

クリシュナは弟子のアルジュナにこう語りかけています

私に意(こころ)を向け、私を信愛せよ。私を供養し、私を礼拝せよ。あなたはまさに私に至るであろう。私は必ずそうなると約束する。あなたは私にとって愛しいから。

『バガヴァッド・ギーター』 第18章65節 岩波文庫

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