菩薩になる

苦しみから脱する方法は非常にシンプルです

「神と隣人を愛し、対して個我への愛着を捨てよ」ということです

個我、つまり自分というものへの愛着が苦しみを作り出し、

神、至高者や他者への愛が喜びと満足のもととなる

つまり「こうすれば幸せになれますよ」と、

各々の聖典や聖者方の教えにははっきり書かれています

しかし私たちはエゴが非常に強いので、

それを読んでもなかなかストレートに受け取ることができないんです

逆に自分を不幸にする観念や習慣にしがみついているから、

幸福の道が逆に厳しいイバラの道に見えるんですね

焼けた重たい石を持って

「重い〜!やけどする〜!」と騒ぎながら、

「じゃあそれを捨てなさい!」と言われると、

「いやそれはできない」と言っているようなもんです

下手したら怒り始めますね

私たちはこれほどの深刻な転倒した価値観の中で生きているんです

仏教の路線で話を進めますと、

この無知、無明によって苦しんでいる人を放っておけない人、これを菩薩と呼びます

菩薩は単に優しい人ではありません

一般的な優しい人も当然素晴らしいのですが、

そういう人がやることといえば、

焼けた石を氷の塊に変えてあげるようなものに近いです

つまりどういうことかと言いますと、

苦しみの原因である自我意識はそのまま、その中身を変えているだけです

焼石が氷になると最初は

「あー生き返るぅ」となりますが、

今度はだんだん手が痛くなってきます

そしたらまた焼石に持ち変える

すると今度はしばらくの間は暖かくて具合がいい

それが私たちのエゴがしていることです

菩薩はそうではなくて、苦しみの本当の原因に目を向ける人です

そして実際に人々をそこから救い出すために、

まずは自分が自我意識から自由な状態になるために努力します

なので菩薩にとっての修行は、もっぱら他人のために行われるものです

個人的な解脱ではなく自分以外の多くの人々の解脱まで志すので、

大乗の道はより偉大だと言われています

世の中のあらゆる活動は満足を目的としています

その中で菩薩は、究極の満足を与えようと志願した者たちです

人生の痛みを取り除く本当の医薬

尽きぬ満足をもたらす本当の食事

安らぎのための住居や衣服

そして人々の魂に火をつけかき立てる崇高な理想と、

理想の地へと速やかに運ぶための正法(ダルマ)という乗り物

菩薩はこれらを人々に備えさせようと修行に奮闘し、

実際に奉仕活動をおこなう存在です

菩薩は如来の意志のいわば手足です

この宇宙というプログラムを消滅させるため、

目覚めながらも夢の中で活動するエージェントのような存在です

目的の為であれば全てを喜んで投げうち、

己への尊敬や利益への渇望を軽快に後にして前進する

そして菩薩は戦います

あらゆる障害や魔に対して

ハートは熱く、頭脳はクールに

この勇ましい真の戦士たる菩薩に、私はなりたい

いや、なるのだ

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