食事についてのアドバイス
基本となる考え方
霊的な覚醒を目指す場合、
食事は見直すべき基礎的事項になります
これは人にもよりますが、
多くの場合、食事は私たちの強烈な欲求の対象であり、
物質的なものへの執着を見直す段階で、
これは避けて通れないものだからです
欲求という観点のみならず、
物質的な観点からも不適切な食が霊的覚醒を邪魔することがあります
何せ一日2〜3回を毎日繰り返すことです
例えば瞑想やマントラを唱えることを忘れても、
食事を忘れる人は少ないと思います
それだけ食事が私たちに与える影響は無視できないものがあります
「人は自ら考えた通りになる」
というのはオカルト公理として有名ですが、
何を食べるかにも注意を払うことは必要です
食事と覚醒にどのような関係があるかといえば、
例えば秘教では、意外にも肉体の健康を重要視しています
ヨーガスートラでも前進の妨げの第一要因として、
「肉体的無能」が挙げられているほどです
「肉体は幻だ」
「私は体ではない」
というのも真理ではありますが、
行為の用具としての肉体を適切に扱うことも、
私たちには求められています
というより、段々とそのような意識になっていきます
実際不健康の多くは、
自分の快楽、満足、安全を追求していく結果生じます
例えば大工さんが家を作るとして、
のノコギリやノミがボロボロで、
かつ定規が曲がっていたり汚れすぎていたら、
思った通りの家なんてとても建てられないと思います
言い換えれば、職人(魂)の意志が道具(肉体)に乗らないのです
肉体を持つ以上、
肉体の活動する次元にそれ(魂)を降ろさなければなりません
それが覚醒の定義の一つだと思うのですが、
おそらく健康はその土台だというんですね
もちろん日常の内的訓練が優先されることは言うまでもありません
つまり正しい経典や教えを読んだり聞いたりして、
自己的な動機からくる怒り、嫌悪、執着、恐れなどを手放し、
自己への関心や愛を他者に向ける訓練のことですね
これを行なっていくとそのうち、
浄化によって意識が変わっていきます
結果、人によっては食事内容について関心が向くようになってきます
実は重要ではない食事
ですから食事を実際に見直して健康になるというのは、
内的変化の結果なのですね
健康に関心のある人の特徴として、
それ自体が目的になってしまうケースというのはよく見かけますが、
修行者にとってそれは目的ではなく、
結果として手に入る二次的な恩恵なのかもしれません
例えば私は無類の甘党で、
毎日お菓子を食べずにはおれない日々がずっと続いてきましたが、
肉体を快楽を得るためのものではなく、
行為のための用具として見做すように認識が変わりつつあります
その結果として今の食事内容は、
穀物と野菜とたまに魚介のみで、
甘いものは一切食べないのが自然になりました
食事量も平均的男性の半分程度にまで減りました
甘いものは今でも好きです
食べたら美味しいんだろうな〜なんて思いながら、
実際には手が伸びなくなっています
もちろん、家族に隠れて…なんてズルもしません(笑)
ですから個人的には、食事を無理に変える必要はないと思います
修行してエゴを減らし、
魂の波動に合った行為にパーソナリティを合わせていく方がよっぽど重要です
無理に食事を変えてストレスが溜まってうまく修行が進まないよりは、
好きなものを好きなだけ食べて、
エゴがご機嫌な状態で心の訓練を行う方が優先されます
そうやってエゴをなだめながら、
あくまで正しい方法で訓練をやっていれば、
食事という欲求の制御に取り掛かるタイミングが訪れます
これは食事だけではなく、
やめられない色々な不適切な習慣にも当てはまります
それらの外的習慣は内的原因の結果です
ですから修行によって原因に取り組んでいれば、
結果は「必ず」現実的な良い成果をもたらします
実はこのことが、
自分の行っている訓練が正しいか間違っているかの判断基準にもなります
正しい思考習慣には、
正しくポジティブな結果が伴います
間違った思考習慣には、
同じく歪んだ結果が伴います