無努力で、らしくあれ

自分らしくあるって

簡単なようで難しい

でもそれが分かったときって

何の力みも

何の企てもなく

することといえば自分にOKを出すことくらい

自分という存在を全肯定して

認め、受け入れ、尊重し、その声をよく聞こうとする

だけどこれは自分勝手を肯定するのとはちがう

賢い親は、わが子を叱りつつ寄り添う

同じような態度が

自分に対して必要なんじゃないかな

自分のことを大切にするからこそ

自分を戒める必要もある

こうしてちょうどいいバランスをみつけていく

私たちは日ごろからちょっと

力みすぎているのかもしれない

楽器に例えれば弦を強く張りすぎているから

上ずった音しか出ないし

緩め方もよくわからなくなっている

もしかしたら緩んだまま

弦を張る力のない人もいるかもしれない

いずれにせよ

ちょうどよい具合で弦を張り

豊かな自分だけの音色を出している人は多くない

お釈迦様の話で「ソーナの弾琴」というのがあって、

これは修行の態度のことをよく表現したたとえだけど

そのこととよく被っている

「私らしさ」の心地よい音色は

無努力、全肯定のゆるみと

戒めというテンションのバランスによって生まれる

ちなみにこのアドバイスをうけたソーナはその後まもなく悟ったそうな

スポーツでもよく

力を抜いた状態から一気に力を入れることで

最大の力が発揮できると言われている

この脱力はただの「だらーん」ではなく

緊張もやみくもに体をこわばらせているわけじゃない

意識的に計画され、コントロールされた中で行われている

するとその人の最高のパフォーマンスができる

人生も、悟りの修行も、スポーツも

すべて共通していて面白いですね

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