「こもれる」強さ

生命が幾重にも重なって交じり合う屋久島の森

どうしてもつらいとき

おいしいものをたくさん食べて

自分を慰めることもあるよね

ゲームをして、スマホをただ眺めて

辛さを忘れるしかないこともあるよね

それがその場しのぎなのはわかってる

でもそうするしかないんだよね、そのときは

あるいは本当にどうしようもないとき

部屋に籠るしかない

自分を守るにはそれしかないということがある

「そういう人は実は強いんじゃないか?」

私はそう思うことがある

なぜならその苦しみを誰のせいにもしていないから

自分にそれを引き受ける強さがあると思うから

社会に出て一線で活躍している人でも、

何かあるとすぐ人のせいにして

文句を言い、攻撃し、実際にやり込めてしまう

周りはそれを飲み込んで我慢しているということは実際に多いのです

そういう人を私は本質的に弱い人だと思うんだよな

「こもる力」のある人

そういう人たちはもともと持っている力があるので、

機会さえ整えられたら成長する

問題を自分で抱えられるだけの力がある

そういう人に対してはちょっとした外部からのテコ入れというのかな

共感と思いやりをもった寄り添いがあれば、

より奥深い人格に成長する

私はそのように考えます

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