霊的探究と孤独について
探究の道において、
孤独は歓迎すべき状況です
たとえパーソナリティがそれによって動揺したとしても、
それは私たちの魂の導きであり、
生まれてくる前からそういう状況をあえて設定しています
ですから世間からの分離に対して抵抗することは、
かえって状況を悪化させかねません
自分をそこに導いた「本心」の声をよく聞き、
賢明に人知を働かせて前進するほかありません
この道には一般的にいうところの「賢さ」や「実行力」とは少し違ったものが必要になります
そしてそれを働かせるには内的パワーが必要です
このパワーは、
あらゆる外的な物事への関心を失い、
内側に籠ることで得ることができます
膨大な量のエネルギーをそこにつぎ込むことで霊的な開花に至るものです
ですから孤独はとても親切な現象です
それはこれから「再び生まれる」(ヨハネ 3:3,7)胎児の為の静かな子宮のようです
これまで一緒に楽しく過ごしていた友人や家族と楽しみを共有できなくなったり、
自分が心血を注いで集中してきた対象から無理やり引きはがされるような苦しみは、
私も経験してきたことなので、
それがどういうことはよく分かります
ですがそういう経験をしてしまっている人たちは、
まさにそれを経験しているという理由から、
本当の自分が向かいたい先がわかるものです
一度見てしまったものは取り消すことができません
それが現実を超越した現実だからこそなおさらです
性質の違いによる孤独の在り方
しかしこの孤独の在り方も、
スタイルによって工夫してもよいかもしれません
例えば用事がなければ家から一歩も出ない人と、
どこかに出かけたい人のパターンがあると思いますが、
内向的か外交的かによる孤独の在り方には違いがあります
内向性の人は無理して外に出なくてもよいですが、
誘われてすこしでも「まあいいかな」という気持ちになったり、
興味をひくものがあったら外出したほうがいいと思います
なぜなら内向的な人には自己完結してしまう傾向があり、
その殻がエゴの破壊の障害になるからです
一方で外向性の人は無理して引きこもらず、
外に出て奉仕的な活動をしたほうがよいかもしれません
ですが活動のし過ぎは注意が必要です
意識をこれまで通り外側に拡散させ続けることになるので、
霊的進化に必要な内的なパワーが蓄えられないからです
外に出つつも、
ちゃんと意識的に内省する時間を作る必要を感じるはずです
大切なのは「愛」と「行動」
孤独には周期があり、
特に日本に生きる限りそれは永続するものではないと思います
霊的成長進化の本質は現代では「愛」であり、
それを激しく忙しい現実社会の中で実践していくことが最も大切だからです
もしずっと何年も孤独なのであれば、
それはその人が少数派のパターンをいっているのかもしれませんが、
自分の殻の中に閉じこもってそうなっているケースもあるので注意が必要です
孤独は魂にとって必要不可欠なものですが、
それと同等に必要なのが、
自分以外の存在との関係を実際に浄化することです
自分と家族や友人
自分と社会(仕事)
自分と自然界(地水火風の四大元素)
それ自体へのアプローチが、
自分と自分
自分と神の関係を清らかなものにします
すると孤独の意味が少しづつ変化していることに気づくと思います
それは他者との緩やかなつながりの中、
意識はその上空を飛ぶような感覚かもしれません