愛を込めて
「愛を込めて」なんて、簡単に言えないよね
よくあるその包み紙の中身は、
「私はその対象を気に入っている」という利己的な愛着
そういう「愛」が好きな人もいる
愛着されたいと望む人は多い
けれど真実の愛を求める人は、
そういうものじゃ満足できない
見つけ出そうとする私たちは、
なぜか本当の愛がとてつもない歓喜と至福を伴うことを知っている
この世のものではない幸せこそが愛であると、
誰にも教わらなかったのに知っているんだ
本当の愛にも本当の思いやりにも、
エゴはかけらも入っていない
愛には反対物がない
それは全てを包み込む
愛はそれ自体で宇宙を、感覚を、概念の枠を超えてしまっている
それ自体で神聖であり、神である
ただ、いきなりそんな天国に行くわけにはいかないから、
私たちは真実の愛を少しずつ知るのだと思う
エゴはそれによって少しずつおとなしくなる
何かを欲するということは次第になくなっていき、
心の中身は奉仕への欲求に変わっていく
愛はエゴを嫌わない
愛に敵はないから
だから「無敵」なんだよ
キリストは、愛の至高なる力と栄光を示すために下生した
彼は自分に中傷や暴力が加えられることを知っていた
けれど愛だったから、それらさえ包み込んだ
だから彼の栄光は今なお色褪せることがない
キリストに、主なるお方に愛を込めて
私たちが本当に愛せる対象は、
「聖なるお方とその子」だけだ