打ち込めるものが何もないあなたへ

打ち込めるものや夢中になれるものがない

これはある意味幸運なことと思います

もしかしたらその人は、

前世である程度世の中の色々を経験し尽くして、

この世に飽きちゃっているというか、

疲れちゃってる魂かもしれないからです

これが幸運な理由ですが、

そういう魂こそ、解脱や悟りに向かおうとすることができます

そうでない魂たちにとっても、

この輪廻からの解脱はつよい憧れの対象なわけですが、

肉体を纏ってしまうとそのことを忘れて、

目の前の刺激的なことに夢中になっちゃうんですね

もちろん疲れて飽きちゃっているとはいっても、

エゴの欲求というのは変わらずあるわけですが、

その人の真理への扉というのは大体こういうときに開くんです

人格的な成長意欲の延長として神に向かうというよりは、

この世への嫌悪によって神と救いを求めるというのが、

私を含め多くの人のパターン、傾向かと思います

だからこの世で何にも夢中になれないことを落ち込まなくても大丈夫です

それが本来正常なんです

私たちは唯一実体のあるもので満足するべきだし、

また智慧ある人間はそうあらねばなりません

それは祝福です

子供がおもちゃに飽き始めることと同じです

お釈迦様をはじめ偉大な聖者と言われている方々も、

みなこの世の虚しさに直面し、

そこから解脱を求めて修行に入りました

ただしちゃんと識別もしなければなりません

「どうせこんなことやったって」みたいに、

やりもしないうちから批評して無気力になるのとは違いますからね

そうじゃなくてこれは、

一応真摯にそれと向き合って取り組んでみたり、

理解しよう、その意義や意味を発見しようと努力してみた結果として、

夢中になれない、打ち込めないことの”可能性”についての話です

こうしてカルマを落とさないと、

修行に入ってもまたそちらに流されます

しかしそれもまた人生であります

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