【菩薩道】マハーヤーナに乗りませんか?

修行の動機は最初、

自分の自由や自分の達成にあるものです

「この苦しみから解放されたい」

「こんな世界はもう嫌だ、早く解脱したい」

「自分の人格を完全にしたい」

「何ものからも自由な心を手に入れたい」

こうした動機から霊的訓練の道に入ります

これらの個人的動機のまま修行を続ける人もいますが、

それではエゴは壊せない段階がくるように思います

つまり動機が弱いために、前進のパワーが得られないのです

マハーヤーナ(偉大な乗り物)、菩薩の使命がある私たちであれば、

その違和感に気づきます

そしていつか、

このような問いを自らに発するようになります

「自分の修行は誰のために行っているのか?」

「また今後、自分の修行はどこに動機を置いて行っていくべきなのか?」

私たちは「利他の心」と言いながら、

気が付けば自分本位で修行していることがあります

もちろん自分に集中しなければならないシーンもありますが、

明らかにバランスを欠いて、

その自覚さえなくなってしまうのですね

これが修行のちょっと怖いところです

自分本位になってその殻の中が心地よくなってしまうと、

どうにも生きづらい世の中になってしまうからです

ですから私たちは常に、

自分の修行上のあり方や動機を点検する必要があるように感じます

私たちの修行は、

実際に目の前の人から苦しみを取り除き、

枯れた大地に水を与え、

暗い場所に光を与えるために、

その力を備えるために行っているはずです

「この人たちのためにできる最高の善とはなにか?」

と、いつも考えや感情の軸を、

他者ないし他者に代表される神々に置くことができれば、

私たちの修行はどれほど進むでしょうか?

私個人という乗り物と、

衆生や神々といった乗り物の大きさや力は、

単純に人口で割っても数億倍の違いが生まれます

どちらに乗るか?

これは本当に知恵のある人であれば決して迷わないでしょう

こういうことをエゴは嫌がります

エゴは自分の好きなように、

自由気ままにやっていきたいものだからです

しかし、動機の点で衆生や神々に乗っかってしまった方がはるかに楽なのです

ですから大乗は「偉大な乗り物」と言われるのです

楽で、効率的にエゴを破壊し、より遠くまで行くことができる

大乗の道にはこれだけのメリットがあります

個人的な解脱(ニルヴァーナ)はしばらくお預けになるというデメリットはありますが、

そもそも個人的な解脱を味気ないと感じる人がこの道に入ります

そういう人を「菩薩」と呼びます

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