賢い人は必ず隠す

真理の教えという至上の宝を手にした人は、

まずはそれを独占すべきだと思う

教えたり学ばせたりする必要はない

そんなことをしては、

せっかく手に入れた宝の価値をその手から失うことになる

これは、貧しい国にあって偶然宝石を拾った人の場合に例えられる

愚かな人はそこで他に宝石を見せびらかし、

自慢して触らせ、貸し出したりする

こういったことはいずれ嫉妬を買い、

盗まれるなどしていずれ何らかの形で失うことになる

彼は宝石を愛したのではなく、

宝石の所有を通して人々の関心を得ることに夢中になっていたのだ

対して賢い人は、

それを誰の目にも触れない密室でその輝きを愛でる

いつも肌身離さず持ち歩き、

片時も宝石から離れない

だからそれを失うことがない

これは、世俗的なものであれば簡単に執着し独占しようとする私たちにとっての戒めになる

金品、役職、既得権、資産、家族、友人

私たちはこれらとの関りにおいて、

独占することについてよく知っている

しかし真理の教えを学び始めた人の誰もが経験するように、

私たちはその宝を平気で他者に与えてしまおうとする

学ばせよう、分からせよう、救ってやろう

これは一見利他的な動機にも見えるが、

どうしてまずは独占しようと思わないのか?

理由はいくつかあるが、

この文脈に沿ったものに限って言えば、

真理という宝の価値を真には理解していないからといえる

また愚かな人のたとえで出したように、

真理を愛しているのではなく、

それを発見した自分への称賛や、

それを通して他者を変えたという自己有用感を愛しているのだ

本当に真理を愛していたら、

私たちはそれを誰にも明かさず、

教えの実践とそれによって構築した想念物質を他から注意深く守るだろう

そして教えとの一体感を愛し、

愛するがゆえに、

まるで農夫が作物のために雑草を抜き取るように、

リアリティに反する欲求や執着を喜んで放棄するだろう

でも、私たちはそれを難しいと感じる

理屈はわかっても、その通りに日常を過ごせない

だからこそ、努力なのだ

「霊的存在に立脚しよう」という継続的な意志を繰り返し実践し、

低位のリズムに高位の魂のリズムを課そうと努力し続けること

これはとっても地味で時間のかかることだが、

魂がそれを選んで転生に入っている人にとっては逃げようのない必修科目だ

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