仕事ってなんだ?

人間の活動には2種類あると思う

一つは、人間を人間たらしめる肉体を維持するための行為

つまり衣食住を整える活動

もう一つは、これが動物との大きな違い

博愛的理想を抱き、その方向に向けて他人と協力しながら組織的に活動すること

多分これだけじゃないかな、

純粋な人間の活動って

現代の人間は他にも、自分の欲求を満たすための活動をしている

今あるものに満足できず、

必要以上に衣食住を充実させて

純粋で高尚かつ人類的な理想ではなく、

個人的な欲求にかなり色付けされた理想ばかりを追い求めている

本当にこれでいいの?

残念ながら経済は、個人的欲求を大いに肯定することで回転している

それを証拠に、

生活に最低限必要なものは比較的安価だが、

そうでない欲望の商品はその大きさに比例して高価になる

本当にこれが、人間の活動でいいの?

私たちは仕事というと、

なんだか真面目で重要なことに考える

世間という歯車をさらに回すことであるのと同時に、

家族を養う元種を得る行為でもあるからかもしれない

特に日本人って、そういうところがあるよね

仕事と言えば他の用事の全てが免除される的な雰囲気がある

でもその仕事って、本当に仕事なのだろうか?

お金になるから仕事なのだろうか?

お金にならなければ仕事と言ってはいけないのか?

ちなみに私は、人類の中で最も仕事をした人物は、

ブッダやキリスト方だと思っている

なぜなら、彼らは自己とその所有を完全に放棄したが、

今になって私たち人類の心と人生を所有する立場になっているから

また彼らの活動は、2000年以上の時を経てなお、

全く色褪せることなく私たちを聖なる活動と内省に駆り立てるから

ブッダもキリストも、

その活動のために対価なんてもらわなかった

彼らは基本的に一文なしだったし、

また無所有の鑑だった

この輪廻の歯車をより大きくかつ早く回転させることは、

本質的には仕事じゃない

そうではなく、この輪廻を終わらせる存在こそ、

真の働き手ではないかと思うのです

この終わりない欲求の歯車を止めない限り、

私たちの苦しみは終わらないから

ブッダは【四諦】の中で

「現象への欲求こそが苦しみを生み出す」と仰っています

この言葉をどれだけ深いところで受け止められるか?

私たちは試されているのではないでしょか?

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