楽しい修行

神の創造は、その末端でさえ美しい

修行って楽しい

単純に好きだから

修行って楽しい

どんどん謙虚になるから

修行って楽しい

聖者の言葉は聴いて飽きることがないから

修行って楽しい

日を増すごとにダルマの正しさを実感するから

苦しいこともあるけれど、

実はそれも好きだったりする

身の焼かれるような苦痛

エゴのプライドが剥がされる痛み

大切にしてきたものを失う悲しみ

ダルマを知らない人からの無理解や嘲笑

そして孤独

この渦中にいるときはもちろんキツいわけだけど、

苦しみながらもそれを喜ぶ別の自分がいることも知っている

マゾだよね

狂ってるよね

でも俗人だってエゴに狂い

エゴの言いなりになってるじゃないか

何に狂っているかの違いなんだよ

何に献身しているかの違いなんだよ

仕事を選ぶとき、

みんな慎重に選ぶよね

この会社は自分に良くしてくれるか

社長は、上司は、同僚はどんな顔をしているか

騙されないか、誠実に付き合ってくれるか

同じことさ

エゴは私を散々働かせてきた

報酬に目が眩んだ時期もあったけど

結局手元には何も残らないことに気づいた

だからそこで働くのはやめたんだ

一方でダルマの道も、

私を散々働かせることに変わりはない(笑)

けれどその報酬が違う

報酬は何かって?

”他に奉仕する自分”という報酬だよ

奪う自分じゃなくて

与える自分が得られる

それは利益じゃないって?

いやそうじゃないんだよ

ダルマの道は現実的にもはっきりとした結果を出す

だって貧しい心からは略奪と恐れしか生まれない

反対に与える心からは、

感謝と報恩の豊かなやりとりが生まれるじゃないか

お互いにどうぞどうぞってやってたら、

自然とニコニコしてくるじゃんか

それがダルマに献身することの自然な結果なんだ

偉大な聖者やその教えをを社長や上司とすることの当然の結果なんだ

幸せな社長の下で働くと幸せでしょう?

幸せな奥さんや旦那さんが家の中にいるだけで、

家庭は勝手に明るくなるよね

解脱や悟りの道は温和な家庭や職場を作るためのものではないけれど、

偉大な教えは全てを包み込む

だから私は修行が楽しい

だから私はこの道のことが好きでたまらないのです。

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